ゆめのくにへ かえっていく
カムチャッカの若者が きりんの夢を見ている時
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女がほほえみながら 寝返りをうつとき
ローマの少年は頭柱を染める 朝陽にウインクする
この地球では いつもどこかで 朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ 緯度から 緯度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき 耳をすますと
どこか遠くで 目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた 証拠なのだ
谷川俊太郎
帰れぬ故郷
おまえが知っている大地を失い、
大いなる認識へと。
おまえが生きている命を失い、
より偉大なる命へと。
おまえが愛した友のもとを去り、
より大きな慈しみへと。
故郷よりも優しき土地へ、
大地よりも大いなる土地へ。
トマス・ウルフ『帰れぬ故郷』より
大いなる認識へと。
おまえが生きている命を失い、
より偉大なる命へと。
おまえが愛した友のもとを去り、
より大きな慈しみへと。
故郷よりも優しき土地へ、
大地よりも大いなる土地へ。
トマス・ウルフ『帰れぬ故郷』より
青山通りのどこかの店で
この時期になると、ふと「今まで食べて一番美味しかったものは何だろう」と考える。
いろいろな場所に行けば名物に会える機会も増えるし、少しだけれど高級店にも行けるようになった。歳とともに変わる味覚もある。
でも今のところ、まっさきに浮かぶものは変わらない。それは、ブランド牛でもウニやイクラでもない。
ファミチキである。
8年前の3月11日、仕事で錦糸町駅前にいた時、あの強い揺れがやってきた。スタッフ3人と共に、会社にも家にも帰れなくなった。
交通機関はまったく動く気配がなく、そのうち夜になって、仕方なく泊まれるところを求めて歩き始めたものの、寒さと空腹感でまいってしまっていた。どこに行っても食べ物はなかった。
そんな時、たまたま入ったファミリーマートで、「ただいまファミチキが出来上がりました」という信じられない掛け声に遭遇した。
今でもよく覚えている。スタッフと共にすぐに買い、一緒に食べた。温かい、本当に温かな食べ物だった。みんな笑顔になった。世の中にこんな美味しいものがあるんだ、と思った。
その後1年くらいして、あの味がどんなものだったか確かめるべく、ファミチキを食べてみた。思いとは別に、たいした味ではなかった。
違和感を覚えたまま、それ以来食べていなかった。
先週、ファミリーマートの前を通りかかったら、「ファミチキ・セール」をやっていた。
ちょうど3月11日のことを考えていた時で、また食べてみようと思い立った。一度食べて駄目だった時は、何かの間違いだったかもしれないのだ。
温かいまま、すぐに外で食べてみた。
はたしてその味は、やはりたいしたものではなかった。黙々と最後まで食べた。
でも、と思う。
それが何だというのだろう。
今でも自分は、「何が一番美味しかったか」と聞かれれば、すぐにファミチキと答える。
震災のあの夜、青山通りのどこかの店で、みんなと肩を寄せ合って食べたファミチキが、どんなに心を満たしてくれたことか。
それはたぶん、これから先、もはや超えることのない味なのだ。