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そして次の曲が始まるのです
青春はいちどだけ
鳴り出した鐘
いらだちさえ僕は
抱きしめたいと思った
週末に間に合うように
手紙を書くつもり
by Flipper’s Guitar
ストップ・メイキング・センスのポスターは岡崎京子作品の壁に貼ってあった
Talking Heads / Stop Making Sense (1984)
なんと去年リマスターされて、映画館で上映された『Stop Making Sense』。
たしかにライブ映像としては傑作中の傑作だけど、なぜに今!
80's ニューウェーブから遠く離れて・・。
(でも、評判いいみたい)
トーキング・ヘッズは大好きだけど(そしてこの作品も何度も観たけれど)、やっぱり岡崎京子だな、想い出すのは。
ストップ・メイキング・センスでよく言われるのは、ジャケットにも映ってる「ぶかぶかの大きな服」なんだけど、これが80年代のポストモダンの文脈の中で、「~の意味がある」とか何とか、評論家筋から意味ありげに言われてて、いやこちらとしてはデビッド・バーンの痙攣ダンスと同じようなもんじゃないの、とか思ってたけど。
彼一流のライブ演出なんだよ!
で、岡崎京子の作品の中で、このアルバムのポスターが壁に貼られてたり、作品集『ボーイフレンド・イズ・ベター』はヘッズの『ガールフレンド・イズ・ベター』からタイトルを取ってたり、デビッド・バーンがこの大きな服着て歌うのもガールフレンド・イズ・ベターの時だったりと、もはや自分にとってストップ・メイキング・センスは岡崎京子なのです(それくらい好き)。
彼女くらい時代の最先端と感性をシンクロさせ、作品に意味を持たせることに長けてた人って、いないと思う。今になっても。
本当は、ストップ・メイキング・センスが現代に蘇ったように、岡崎京子が元気になってくれたなら、どんなに嬉しいか。
80年代・90年代リバイバルがずっと反芻される現代で、その先を描けたのは、岡崎京子だったと思う。本気で。
そういえば、トーキング・ヘッズ、やっぱり再結成しないね・・。
まあ、理屈をこねるのはやめよう。ストップ・メイキング・センス!
また会ったときに恥ずかしいからね・・
フリーレン、最高だったなあ・・。
この半年間は素敵な冒険をずっと続けているようだった。
作品に充満する、穏やかで優しく、けれど残酷でもある時の流れ。その中を、フリーレンは、仲間たちと、想いと、歩き続ける。
まったく、何度も泣かされそうになったよ。
でも、特にお別れは言わないよ。
また会ったときに恥ずかしいからね・・。
凍れる瞳
この小説のおかげで、「しばれる」という言葉を知った。
まだ高校生だった。
去年、作者が亡くなった時、すぐに「凍れる瞳」を思い出した。
作品で描かれたのは戦後すぐの時代のことだけれど、同じ昭和でも自分が生きた子ども時代と、敗戦後すぐの頃とでは、まったく背景は異なる。
この作品が直木賞を取ったのは1988年だから、もうすぐ昭和も終わろうとしていた時。すでに戦後の復興期は遠い彼方のことだった。
だけど、紛れもなく、昭和を築いたのは、武骨で真摯で、そして敗北感をまといながら前進を続けた人たちだった。
本当に、昭和は遠くなったんだな、と思う。
チル
うわあ、これはショックだなあ・・。
TARAKOさんを初めて知ったのは「戦闘メカ ザブングル」だった。
自分がまだほんの子どもの頃から、当たり前のように聞いてきた声だったのに・・。
成長したチルの声も聞きたかったな。。
中国行きの貨物船にあなたを乗せたいな、船は貸しきり二人きり
うおっ、何の気なしにTSUTAYAに寄ったら、なんと『中国行きのスロウ・ボート』が、「刊行当時の装幀のまま復刻」されてるではないですか!
おわー、思わず叫んだよ。(そして店員さんと目が合ってしまった)
なぜ人目がたくさんあったのに叫んだかは、こちらから ↓
https://lemon-firebrigade.blog.ss-blog.jp/2009-08-27
罪と罰
子どもの頃、家に「少年少女世界の名作文学」全集があって、本好きになるきっかけはここからだった。
(ギリシャ神話や三銃士や宝島、トムソーヤにアリスにほら男爵、西遊記や太平記など、夢中になって読んだ)
大好きな作品がたくさんあって、よく覚えているものもあれば、普段なんとなく忘れてしまうものもあるけれど、不思議と子ども時代に好きだったものは、ずっと記憶のどこかにあり続ける。
その中の「ソビエト編」に、『隊長ブーリバ』があった。
読んだのは後半の方だけなのに、なぜだかずっと忘れずにいる。コサックの隊長は、私情ではなく義のため、かくも強くあらねばならぬのだな、というようなことを思った。
印象的なシーンがある。
勇敢な息子が敵(この場合はポーランド)に捕まり、広場で公開処刑されることになって、助けたくても敵陣の真っ只中。それでも息子はどんな拷問にも耐えるんだけど、いよいよ最後になって「お父さん、ここにいるんでしょ」と叫ぶ。するとどこかから、ブーリバの「ここにいるぞ」という声が聞こえ、広場中が騒然とする。
その後、ブーリバによる大反攻が起こる。
その頃、自分は勝手に、シルクロード寄りの場所が舞台なのかと思っていたのだけど(なにしろ小学生だったし)、先日気になって調べてみたら、ウクライナの話だった。ウクライナのコサック隊が、侵攻に抗い、自らの民族的解放のために闘うのだ。
ちょっと眩暈のようなものを感じた。たくさんの時代を、耐えてこなければならなかった歴史。
もっとも酷いのはボリシェヴィキによるものだけど、時を経て、またしてもロシアがやって来た。
拷問に耐えようにも限度がある。
「ブーリバ、ここにいるんでしょ」
返事をしてくれ、ブーリバ!
今では全集は、子どものいる従兄妹のところにある。(そもそも自分も、叔父から受け継いだ)
あの子たちが大きくなった時、全集は誰に引き継がれるだろう。
その時、世界は平和になっているのだろうか。
神の子どもたちはみな踊る、地震の後で
神の子どもたちはみな踊る / 村上春樹
復興とは、人のこころとはと考えた。
この短編集のことも。
最後の2編が特に響く。
我々が手を伸ばすものは何か。
救いとは何なのか。
もうすぐみんなが会いにくるよ・・
なんだかいろいろショック過ぎて、茫然としたまま一ヶ月半たってしまった。
静謐な物語の終わり。
だけど、ミカサが不憫で、不憫で・・。
(個人的にはアニとそばかすユミルが好きだから、まあ、
救いがあると言えばあったんだけど、
でもでも、ミカサにはあったのか・・)
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